休日の宵そらまめのモラトリアム
蚕豆は夏の季語なので、まだ詠むには早いのでしょうが。
非常に好天に恵まれたゴールデンウィークでした。
善福寺川沿いには、涼しげな恰好のひとたちが。ジョギングしたり気持ちよさそうに寝そべったり。
先月までは桜を満開にしていた木々が、あおあおと太陽を遮って
漏れてくるひかりの粒、ひかりは即ち影、昨日きれいに整えたばかりのパーマの毛先を風がすべってゆくのです。
このままとどめておきたいような連休最終日の昼下がりを抜けて、八百屋さんで立派な蚕豆を買いました。
夜、さっと茹でて仕事帰りの主人とビールを飲む予定。
休日を引き伸ばしたい私は、きっとすっかり冷めた蚕豆を意地汚く取り置き もう一杯あと一杯と杯を重ねることでしょう。
5月2日夜が長い
せっかく5連休もあるのに、身体の不調。
胃に痛みがずっとあり、お酒も飲めず なんとも。
身体の不調はいつでも心細くなる
寂しくなるけれど、いつでも 戻ってきてくれるその人を待っている。
4月5日になりたての
さくらちるちる
あなたのやまひ
うすぼんやりの
むこうがわ
よひもないので
きっと とどまる
うすぼんやりの
がらすのうち
あなたのやまひ
ぬりけすやうに
とおくであめが
ちりぢり こちらへ。
無題
すごく満たされた良い日だったけれど、ちょっと疲れてしまった
いつも、ちょっと疲れてしまうタイミングがある。
アルコールが通じ合わなくさせる
なんでだろう、しあわせに満ち満ちているのに 溢れ出てしまう意地の悪い言葉は
他者に満たしてもらうことなんて、きっとできないことなのに。
3月26日
今日は、日本酒の愉しさを再認識できた日だったな
この3年間で、一体何本のお燗をつけたのだろう
と考えるだけで途方に暮れる
日本酒で、料理を認識している
日本酒によって世界のかたちを切り取っている とも言える
3月22日の日の変わる頃
しあわせであるとは如何なることなのか それはとてもしあわせな意味で
これからの目標は、その日をしあわせに終えることでなく
たのしい の形を作り上げるために、日々を闘うことなのだ
自分たちのために。しかも一緒に。というしあわせを共有しながら。