2月29日 深い深い夜

風の音がする
となりでは寝息
2月がようやく終わる 終わるであろう
四年に一度の閏年
夫婦で良かった、と思う休日だった
とりあえず 前に前に少しずつでも進むために 呼吸を合わせて ときにもたれ合いながら
ふとんの中があたたかすぎるので
くろい ひやりとした外気に足首だけ晒している
2月がやっと終わって
何か 何かが見えてきている

2月18日 夕方

自らが体調を崩し胃腸炎になってしまう

毎年のことだけど、2月はあまり得意でないです

一日お休みを頂き、何もしないでずーっと録画のテレビを見たり洗濯をしたり。

身もこころもデトックスした気分です。

2月4日 あるいは深夜

主人がインフルエンザになってしまったので、今日はリビングで寝ることに。

どこかにお泊りに来たようで、何か気持ちが落ち着かない。

 

冬は、昼が短くて苦手。

寒くて暗いことはそれだけで不安になります。

働いているときは、働いているからそのことに直面していないだけだな、と気づく。

何にも属していないこと、を、突きつけられる状況になるのが冬の夕暮れ。

 

不安になってばかりいないで、きちんと家事をしなくてはな、とも思う。

共働きだけれど、ご飯くらいしっかり作らないとね。体調管理は妻の仕事なのだろう本来は。

夫の出勤時間に合わせて起きて、夫の帰宅時間に合わせてご飯の支度をする

そんな妄想もしてみる。

それはそれは素敵なことだけど、

いやいやないものねだりをしていないで、まずはできることから。現実を少しずつ。

2月3日

自分が病にかかるよりも、近しいひとたちの不調の方が不安になる
それはまさに、自分でコントロールすることのできないトラブルであるからして
ざわざわするのでございます

そんなわけで、生活の時間のほとんどを占める二人が病気なので、気持ちは病のひとようだけど 身体は元気でふしぎ
新宿三丁目での、午後早くからのワインの罪悪感の無駄さ
たっぷり来たそら豆が、いつまでもなくならないことに途方に暮れそう。

2016年2月1日

1週間のおしまいは日曜の深夜

昨日はワインとナッツで、生まれて初めてラピュタをちゃんと見ました。

 

こんなに作りこまれていたのかと衝撃。

時間を作ってきちんと批評文を書きたいものです。

 

そして休日の月曜は、近くのイタリアンでベーコンと玉ねぎのアマトリチャーナでランチ。

ビール二杯ですっかり身体を冷やし

阿佐ヶ谷の書源という本屋さんで「かけがえないマグマ」をぱらりと。

最果タヒが小説家した大森靖子の独白。

力強さ、痛々しさ、グロテスクさ、それでいてどこか生々しさは薄く、とてもとても在る、が故に無いと同義のような その力強さ

死に近い生 近しいけれど、決して死に触れることのない生

生理中のお腹の痛みのようなひとだ

近しい痛み。うつくしい なんかでまとめてほしくはない 

歌はおわらない ことばは永遠につづきつづけ 

 

 

何かとても懐かしいものに引っ張られた気持ちにはなったけれど

冬の夕暮れはおそろしいので足早に帰宅。

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