3月22日の日の変わる頃
しあわせであるとは如何なることなのか それはとてもしあわせな意味で
これからの目標は、その日をしあわせに終えることでなく
たのしい の形を作り上げるために、日々を闘うことなのだ
自分たちのために。しかも一緒に。というしあわせを共有しながら。
3月21日 昼間
春が来たかと思った途端、また寒の戻り
久しぶりの連休。
今日は美容院に行って、久しぶりに外でゆっくりひとり飲みしようと思う。
2月29日 深い深い夜
風の音がする
となりでは寝息
2月がようやく終わる 終わるであろう
四年に一度の閏年
夫婦で良かった、と思う休日だった
とりあえず 前に前に少しずつでも進むために 呼吸を合わせて ときにもたれ合いながら
ふとんの中があたたかすぎるので
くろい ひやりとした外気に足首だけ晒している
2月がやっと終わって
何か 何かが見えてきている
2月4日 あるいは深夜
主人がインフルエンザになってしまったので、今日はリビングで寝ることに。
どこかにお泊りに来たようで、何か気持ちが落ち着かない。
冬は、昼が短くて苦手。
寒くて暗いことはそれだけで不安になります。
働いているときは、働いているからそのことに直面していないだけだな、と気づく。
何にも属していないこと、を、突きつけられる状況になるのが冬の夕暮れ。
不安になってばかりいないで、きちんと家事をしなくてはな、とも思う。
共働きだけれど、ご飯くらいしっかり作らないとね。体調管理は妻の仕事なのだろう本来は。
夫の出勤時間に合わせて起きて、夫の帰宅時間に合わせてご飯の支度をする
そんな妄想もしてみる。
それはそれは素敵なことだけど、
いやいやないものねだりをしていないで、まずはできることから。現実を少しずつ。