「こちらあみ子」

読了。久しぶりに、生きてゆくことがしんどくなる感覚に陥る。懐かしい、この、夏の夕方に取り残される感じ 外の闇が深まるほどに、身体がシーツから離れられなくなる感じ。普段、ビール片手に見ている街の夕闇はあんなに近しいものなのに。私はそれを、所持していられたのに。所持していた気持ちになっていたそれが、暗く恐ろしい外部であるということに、ただ気がついただけということなのだろうか。昔の自分のブログなどを読む。散らばった言葉は、他人によるもののように てんでばらばらな光を放って。そのときの私は 大きな外部に必死に抵抗するように 毎日必死で言葉を手繰っていた。自分は非凡である、と思っていたかったあの頃は、秩序こそが大きな外部であった。できることならば、常に ぬらぬらと湿ったぬるい温度のあの気持ちの良い闇の中で眠るように生きていきたかったのだった。ただただ平凡な人間にはそれは出来ないことなのだと、静かにわかるそのときまで。

きっと今なら、冷静に自分との距離を取って小説と向き合い、それらしい分析をすることだってできるのに、こうして再び あの頃の心情へ引っ張るということは、完全に物語の力である。SNSの、流れてくる映像も言葉もすべて 全く頭には入らないのに 身体が勝手に いいね を押す気持ち悪さ。それでも、何かをしないではいられなくなるむず痒さ。気がつくと歌をうたっていた。身体と精神にできてしまった空白を埋めるように。その空白へ布団が入ってこないように。何ものにも、埋めることなどできないということを知っているのに。知っているから。