三月十一日
あの日々はなんだかもうとても不安で
ちょうど大学を卒業する年で、まだ社会にも出ていなくて
正しい情報の在り処というもの、信じられるひと、大きなコミュニティに帰属しているようで実はとてもひとりで、自分自身で考え判断する必要があるということ、家族の不在
など不安定だったな。自分ひとりがというより社会全体が。
そんなわけで、春の時期にはいつでもその空気を身体が思い出す。未だ問題は帰結していないはずなので、当たり前なのだと思う。
詩は、出来映え関係なく そのときの空気を冷凍するなぁ。と自分の8年前の作品を読んでしみじみと思った。
ふと、思い出したので過去のブログより作品を転載しておきます。
------
さくらがしだれている
ビルがのびている
葉桜になっている
窓の中に夕方がきている
5時を過ぎても未だ暮れない空に半月が出ていた
落ちたはなびらがまた散る
過剰な装飾の女子達
一方向にしか進めぬわたしたち
カラオケフリータイム1260円
放射能のみずいろ
すべての、ほんのわずかな質量が揺らいで移動していく
目に見える不気味
目に見えぬ不気味
ビル街に、落ちた花びらが再び舞って
あまりにうららかで何かがおかしかった
(何もおかしくはなかった)
ガスマスクをした外国人が自転車で
ビル街に、落ちた花びらを再び散らせた
目に見える不気味
目に見えぬ不気味
あまりにうららかで、それとは関係なしに何かが、
(2011.4.11 品川明日香)