ちかごろ
寒すぎてやる気を失くす。
主人の作った気まぐれタンドリーチキンがおいしかった。タンドールで焼いてないからタンドリーチキンではもはやないけれど。
運動をすると身体が空になる。仕組みだと良いのになぁ。頭がぼんやりしてだるくなってしまった。修行不足。
瑣末なこと。
風の強い日の井の頭公園をウォーキングした。よく晴れていて、落ち葉はくるくると円に舞って、すべてがきんいろに耳の穴から私の身体を巡るようであった。
風の音、斜めに走る電車の過ぎる音、子供がはしゃぐ声、お弁当を広げるお母さんたち、ランニングする女の子のジャージの赤、ニットのメルヘンな帽子を被った女子ふたりの繋がれた手、使われないスワンボートの静寂、もう戻れないかのような、知らない場所。
あざやかなすべてが音に聞こえた。
ヒッピーのような男の子が、見たことのない楽器を奏でていた。見たことのない楽器は、知っている気がする音を出した。音は、空気にゆらいで しずかに失くなる。
変わらない、ということなど。
24時間みっちりいっしょにい続けることも、平気で3年くらいまったく会わず連絡すら取らずにいることも、どちらも同じ距離。同じ質量。そういう存在のひとってすごいよな、と改めて。久しぶりの方と会い、おもった。
もういい加減大人なのに、久しぶり。とか、どうでもいいような天気の話とか、そういうことのやり取りをするのすら ちょっと恥ずかしいな 。と多分おたがいに思っている。
だから、久しぶりでも昨日会ったばかりみたいなのだな。もっと時間があれば、きっとこの話をあの話を というのが容易に想像できる。
変わらないのはその、質量なのだ。
すきだよね。なかよしだよね。という確認作業を必要としない、質量。期待しないけど、安心のある、質量。
なんだか腑に落ちた気がした日。つぎに会うのはいつになるやら。
七種に生かされてゐる今朝のアラーム
今日は、1日遅れの七草粥から。
むかしから七草粥が好きであった。実家にいた頃は毎年の朝ごはんだったし、一人暮らしを始めてからも暇な大学生の頃にはわざわざ生米から土鍋でお粥を炊いたこともあった。
お正月の残りのお餅の入った雑炊、ということが好きポイントなのだと思っていたけれど、丁寧に菜っ葉を刻んだ、この香りも やはり何とも言えず。と思うのであった。
今年は、酒屋さんに頂いた玄米餅と、出汁要素が欲しかったので鶏肉も少し。
浅蜊出汁や帆立出汁と七草の組み合わせもおいしいだろうなぁ、など夢想しながら。
(オリーブオイルとパスタ、というのも良さそうですね。七草ペペロンチーノ。)
七草の句を詠みたく、歳時記をめくってみてすきだったもの。
「あをあをと春七草の売れのこり」(高野素十)
今朝の七草セットも、昨日の昼過ぎに安くなっていた最後のひとつであった。よく晴れていて、スーパーの入口のガラス戸からのひかりを受けて、みどりが強いのは 野菜の菜なのか。プラスチックのケースに書かれた「七草セット」の文字なのか。果たして。
∞
身体は徐々に日常の仕様に回復。
あたまがまだついて行っていないなと本日やっと実感。
1月6日終わりかけ
早速体調不良。
胃もたれ。飲み過ぎ食べ過ぎによるものと思われる。たのしみたい!を詰め込んだ胃がぺしゃんこになっているのだな。
こういう夜は布団がしあわせ。面白い本のストックも大丈夫。冷蔵庫の上に積み重なるタッパー。健康と安全な幸福も、ストックできたらよいのにね。
新年
お正月休みは特に何もせずぼんやりしていたので本日より仕事始め。
今年はできるだけ日記をつけて行きたい年です。
お風呂での読書もどれだけできるかな
一度ブックオフに売ってしまった高野文子の「るきさん」を購入。(同じ本を二度買うのは初めてです)
川上弘美の、人生のスランプについて書いた「へへん。」という文章にうなづきながら。
仕事をしていても休みたい休みたいと思うし、何もしないお休みが続けば気持ちは不安定になるし、バランスの悪い身体である。このアンバランスでこの先も生き続けるんだな、いつもなにか足りないと思って いつも選択しなかった方の結果を思って(たとえばお昼ごはんスパゲティじゃなくてお蕎麦にしてたら。くらいの選択) 生きるとは選ぶことと見つけたり。
その自分の選択を肯定するために、SNSってあるんだろうな。人びとの精神安定のために。
∞
「今年はあと何回スランプが来るのだろうと思いながら、アオマツムシの声をじっと聞く。
虫の声は、聞いているうちに聞こえなくなる。
耳一杯になってしまって、何もないのと同じになる。」
(川上弘美 晴れたり曇ったり )
伸びるほど彼のひとの泣くクレマチス
和名は「鉄線花」。
その名から納得のできるような、くにゃりとしたシルエットでどこまでも伸びる。
葉、枝、時折つぼみ、先に咲く花。
どこへ行くのかわからない、自然ながら不自然なるうつくしい姿。
∞
かつて、一度だけ見たことがある東京事変のライブで
(「スポーツ」のライブだった。アルバムの曲をくまなく、機械的なほどに正確に演奏するというライブだった。)
椎名林檎が「生きる」という曲をうたった姿を思い出した。
会場には、たくさんの女の子たちが。
憧れのひとの姿を目にして涙をしながら彼女の名をしきりに叫んでいた。
もはや、呼んでも届かない場所だから、(だけど)叫ぶ。
このひとが十代の少女とき(自身の名前で生きていたとき)、このひとはこんな風に、遠い憧れのひとを求めて呼んでいたであろうのに。
椎名林檎というひとが(実在しない、そんなひとが)
作り出したこの世界とは。
林檎は、名を呼ぶ叫びの中で
「身体と心が、離れてしまった。」
と、自らの身体をくにゃりと曲げて
立位の前屈の姿勢で歌い始めた。
その不自然な姿勢は
しかし異様なうつくしさを湛えていた。
心細いような声は
しかし、叫びの中で一筋の線になって、曲の終わりへと力強く向かっていった。
彼女のうつくしさは儚さ、
それを裏打ちするような、ずるい強さ。
女の人は皆、泣きながら生きながらえる。
泣きながら、さいごにはひとりで、終わらない終わりを、生きる。
∞
クレマチス落つノーウーマンノークライ