燗酒かるた 2

f:id:aamemiya720:20180416153818j:image吉祥寺・ハモニカ横丁の隅にひっそりとたたずむスタンディングタコス屋さん。

そのお供は、ビールは勿論ですが 自然派ワイン、熱燗などなど。。

焼きたての生地のトウモロコシの香りと、タコスというイメージから想像がつかないようなたのしい具材たちに、お燗が冴えわたるのです。

好きなひとびとと、好き勝手な話をしながらふらふらと。ふわふわと。記憶がないのを、春の夜のせいにしていいですか。

 

酒やタコスや夜半の春騒がしく

3月29日

ツイッターにふんわり吐き出しては消えていたものが、お客様やリアルでのつながりの方が増えてきて難しくなってしまったな

ツイッター上は、存在の有無が曖昧なわたくしだったのが楽だったのに、本名で固有名詞の私になってしまった。ちゃらんぽらんに毒づきたい。

 

facebookでの、みんな仲良くしてるなとか知識とか技術とかそういうきらきらしたぜんぶが、ひとつのかたまりになってなだれ込んでくるようで辛い。しんどい。バランスを取るのが難しい。

 

とにかくマイペースでいることの最重要は、自分自身を信じることだと思うけれど そこがなんとなく危ういよなぁ。と思う日々。突破口はどこなのかなぁ。

座学は得意なんだけど、変化を起こすことが苦手なのだな。

また、頭を叩き割られるような衝撃にあいたい。それによって身体をちりぢりにして ちりぢりをまた繋ぎ合わせる愉しさに日々を消費されたい。

自分の持ち物の危うさについて、どこからどこまでが使えないもので どこからどこまでが死ぬまで持って行くものなのか。そこを整理整頓すべし。だな。

 

ちゃらんぽらんな酒呑みへの道は険しい。

燗酒かるた

おでん酒十年前は知らぬひと

 

今年の冬の新年会、恵比寿のはなたれさんの「海おでん」はとてもおいしかった。f:id:aamemiya720:20180305161227j:image

月蝕

月蝕だ、あと1時間で月がなくなる あゝもう三分の一、もう半分、もう三日月

という、お客様同士のざわざわとした空気もたのしいことながら(気もそぞろ、という言葉は日常の会話の中で初めて使用されたと言っても過言ではないだろう)

ここにいないひとたちが、そこかしこで同じように月を見上げ、映らない赤い月を撮り、SNSにアップするあの感じ、それもなんかちょっと良いなと感じた、そんな日であった。

 

月は、蝕まれるのでなく 蝕むのだ。世界を。暗くすることで、ひとに上を向かせるのだ。

 

こんなに天気の良い、最高のロケーションでの月蝕は人生ではもう無いかもよ。

ってなんだかうっとりする言葉。でした。また明日。

ちかごろ

寒すぎてやる気を失くす。

 

主人の作った気まぐれタンドリーチキンがおいしかった。タンドールで焼いてないからタンドリーチキンではもはやないけれど。

 

運動をすると身体が空になる。仕組みだと良いのになぁ。頭がぼんやりしてだるくなってしまった。修行不足。

 

瑣末なこと。

 

風の強い日の井の頭公園をウォーキングした。よく晴れていて、落ち葉はくるくると円に舞って、すべてがきんいろに耳の穴から私の身体を巡るようであった。

風の音、斜めに走る電車の過ぎる音、子供がはしゃぐ声、お弁当を広げるお母さんたち、ランニングする女の子のジャージの赤、ニットのメルヘンな帽子を被った女子ふたりの繋がれた手、使われないスワンボートの静寂、もう戻れないかのような、知らない場所。

あざやかなすべてが音に聞こえた。

ヒッピーのような男の子が、見たことのない楽器を奏でていた。見たことのない楽器は、知っている気がする音を出した。音は、空気にゆらいで しずかに失くなる。

 

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変わらない、ということなど。

24時間みっちりいっしょにい続けることも、平気で3年くらいまったく会わず連絡すら取らずにいることも、どちらも同じ距離。同じ質量。そういう存在のひとってすごいよな、と改めて。久しぶりの方と会い、おもった。

 

もういい加減大人なのに、久しぶり。とか、どうでもいいような天気の話とか、そういうことのやり取りをするのすら ちょっと恥ずかしいな 。と多分おたがいに思っている。

だから、久しぶりでも昨日会ったばかりみたいなのだな。もっと時間があれば、きっとこの話をあの話を というのが容易に想像できる。

 

変わらないのはその、質量なのだ。

すきだよね。なかよしだよね。という確認作業を必要としない、質量。期待しないけど、安心のある、質量。

 

なんだか腑に落ちた気がした日。つぎに会うのはいつになるやら。

七種に生かされてゐる今朝のアラーム

今日は、1日遅れの七草粥から。

むかしから七草粥が好きであった。実家にいた頃は毎年の朝ごはんだったし、一人暮らしを始めてからも暇な大学生の頃にはわざわざ生米から土鍋でお粥を炊いたこともあった。

お正月の残りのお餅の入った雑炊、ということが好きポイントなのだと思っていたけれど、丁寧に菜っ葉を刻んだ、この香りも やはり何とも言えず。と思うのであった。

 

今年は、酒屋さんに頂いた玄米餅と、出汁要素が欲しかったので鶏肉も少し。

浅蜊出汁や帆立出汁と七草の組み合わせもおいしいだろうなぁ、など夢想しながら。

(オリーブオイルとパスタ、というのも良さそうですね。七草ペペロンチーノ。)

 

七草の句を詠みたく、歳時記をめくってみてすきだったもの。

「あをあをと春七草の売れのこり」(高野素十)

今朝の七草セットも、昨日の昼過ぎに安くなっていた最後のひとつであった。よく晴れていて、スーパーの入口のガラス戸からのひかりを受けて、みどりが強いのは 野菜の菜なのか。プラスチックのケースに書かれた「七草セット」の文字なのか。果たして。

 

 

身体は徐々に日常の仕様に回復。

あたまがまだついて行っていないなと本日やっと実感。