残暑

さくらももこが亡くなったというニュースを聞いて受けたショックが 少し時間をあけてかなしみに変わってきている。

今思えば彼女の根本にある、すこし鬱屈している部分と、とてもロマンチストな部分がたぶんすごく自分自身に共鳴していて

だからこそ、当たり前のように漫画もアニメも何度も何度も台詞を覚えるほど読んでいたし エッセイを読んで本当に声をあげて笑ったんだろうな。(本を読みながら笑っている私を見ていた母に突っ込まれるくらい)

 

新聞やニュースでの、ざわざわとやけに賑やかな感じのする報道に違和を感じる。

ほのぼの、というのは表面で だからと言って意地悪な、というのは一面で 達観して哲学的な、というのも一面に過ぎず。

ひとは、作品は、二律背反でなし 簡単に言葉で把握できるものでもなし

闘病の事実を皆知らされていなかったことからも、静かに送って欲しいだろうなとすこし、思う。

 

さくらももこが亡くなっても、アニメのちびまる子ちゃんは存続する。ということで これはとても偉大なことだなぁ、と思う。

作者が不在であっても、キャラクターは生きて次世代へ受け継がれる。すごい仕事だと思う。

 

そうした大きな仕事っぷりと、あの独特なギャグセンスと、世界を見る小さき者の視線と、

それらすべてを超越するような 扉絵の細かなアラビア風の色彩や描写など。

この細やかな中にひとつひとつ秩序があり それを秩序だて繊細な仕事を施すという その揺るぎない熱情のようなものに、私はこのひとをとても感じ とても、泣きたいような気持ちになる。

決してセンセーショナルなメッセージでも、ある種暴力的な衝撃でもないのだけど 

あの緻密な秩序の中心にちびまる子ちゃんが据えられているということ

曼荼羅のような、さくらももこのその世界に、政治や宗教や金や恋愛やを大きく訴えない、日常の延長に収束する、その世界に、

一緒に見ていた家族の記憶も重なり、泣きたいような気持ちになる。のだろうな。

 

ある一定多数の、まる子だった女の子たち、が 今大人として社会で生きている。

SNSに溢れる、まるちゃんエピソードや漫画の一コマたちにそれを感じる。

作者の死は、大人になった(はずの)まる子たちの、まる子だった部分をすごく揺らがせたのだろうな。

 

何が言いたいわけでもなし、気持ちを落ち着かせたいだけなのでとりあえずここまで。

さくらももこ先生、ご冥福をお祈りします。

俳句・夏

檸檬青しワイングラスの軽やかに

 

甘く熟るゝ押しつぶされしバナナかな

 

スペアリブ残しし指と昼麦酒

 

 

一句目。明るい夕方の中頂いた、「マコガレイとレモンのカルパッチョ」のあまりの鮮やかさに。西荻窪のビストロにて。

 

二句目。やさしくも傷つき易い友人の、心情の吐露を受けて。

 

三句目。昼食で食べたスペアリブがとてもおいしく、意地汚く指にソースを残してビールを飲んでいたときのこと。

俳句・あじさい

日灼けの「喫茶ブルボン」紫陽花かな

 

古い喫茶店の、店名が書かれたテントの色褪せた青や年月を感じるメニューの紙の質やガラスの曇りや。紫陽花の力強さと清々しさが、ふしぎとマッチするなあ、という感覚。雨の日のアンニュイな感じよりも、晴れて日差しが照りつけるすこし哀しい雰囲気が良い。

 

あじさいの季節になった。あの、どこまでも伸びるかのような葉の青さがだいすきだ。

俳句・つつじ

あをぞらに雨ひとすじやつつじ落つ

 

家を出るときは晴れているように見えた。傘を持たず、自転車に乗って走り出そうとするとふとおでこへの微かな水滴の感覚。見上げれば青空。なのに、マンションのグレーのエントランスは暗い水玉模様が浮かび、そしてその上へ鮮やかにばさばさと散るつつじの花々。お天気雨というドラマ。

 

躑躅、でつつじと読む。とのこと。なんでこんなかわいくない字をあてるのか。ということで平仮名の表記に。

天気雨を描写するのは難しいな。「晴れ間より雨の糸降るつつじ落つ」やら「あをぞらを雨の糸かなつつじ落つ」などなど試行した結果の句。

しかし、つつじが一輪おちてゆく瞬間を切り取っているような描写になってしまったよな、という反省もある。落ちている地面の描写をするのが本意であろうか。そうすると「躑躅散る」を上五に据える方が、つつじの落ちるドラマティックを(まるで殺人現場のようなそのドラマを)表現するかなあ。また、「あをぞらに雨ひとすじやつつじ落つ」には音がないので、雨が降る音の描写をした方がドラマティックな演出はできるかな。

 

躑躅散る晴れ間より雨打ちにけり

燗酒かるた 2

f:id:aamemiya720:20180416153818j:image吉祥寺・ハモニカ横丁の隅にひっそりとたたずむスタンディングタコス屋さん。

そのお供は、ビールは勿論ですが 自然派ワイン、熱燗などなど。。

焼きたての生地のトウモロコシの香りと、タコスというイメージから想像がつかないようなたのしい具材たちに、お燗が冴えわたるのです。

好きなひとびとと、好き勝手な話をしながらふらふらと。ふわふわと。記憶がないのを、春の夜のせいにしていいですか。

 

酒やタコスや夜半の春騒がしく

3月29日

ツイッターにふんわり吐き出しては消えていたものが、お客様やリアルでのつながりの方が増えてきて難しくなってしまったな

ツイッター上は、存在の有無が曖昧なわたくしだったのが楽だったのに、本名で固有名詞の私になってしまった。ちゃらんぽらんに毒づきたい。

 

facebookでの、みんな仲良くしてるなとか知識とか技術とかそういうきらきらしたぜんぶが、ひとつのかたまりになってなだれ込んでくるようで辛い。しんどい。バランスを取るのが難しい。

 

とにかくマイペースでいることの最重要は、自分自身を信じることだと思うけれど そこがなんとなく危ういよなぁ。と思う日々。突破口はどこなのかなぁ。

座学は得意なんだけど、変化を起こすことが苦手なのだな。

また、頭を叩き割られるような衝撃にあいたい。それによって身体をちりぢりにして ちりぢりをまた繋ぎ合わせる愉しさに日々を消費されたい。

自分の持ち物の危うさについて、どこからどこまでが使えないもので どこからどこまでが死ぬまで持って行くものなのか。そこを整理整頓すべし。だな。

 

ちゃらんぽらんな酒呑みへの道は険しい。