詩・居酒屋にて

銀杏の薄皮を剥く指さきに

幽けき水音だけが触る

 

日曜は、月の無い夜に呑み込まれる

虚を行き来する中央線が

おもての暖簾を小さく揺らす

 

二度と会わないひとたちの

生活のひかりを想像す

もう、関係のない、ひとたちの

どこかの世界が健やかなることを。

 

薄皮を剥いだ銀杏は

すっかり黄色くなってしまった

ふやけし指に触るるのは

誰かの誰か、の、ひかりだろうか

あっという間に、

冬は暮れゆく

素描

届かないラブレターの自己陶酔黴びた蜜柑は粉状に散る

 

失恋の甘さ忘るる大人とは加害者となることを知ること

 

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言葉にしにくいものが心の奥底に積み上がっている。言葉にできない感情、というのは綺麗だけど、そうではない、誰にも伝わらなくて良いこと、が正しいところだろう。詩を書こうと思ったけれどちょっと時間が空きすぎてどうも言葉が出ないので、短歌の型を借りてみた。精神の奥底で、しんじつ人とつながるなんて不可能なことなのではと思うことが続く。適切な距離を保つことがきっと大事なのに、どうしてか何かを捉えようとしてしまうのは、人間の愚かしさなのかもしれないとも思う。

日記・晩夏

久しぶりにちょっとゆっくり帰省して、のんびりとできて良かった。家族というのは面白いもの。絶対的なひとつの共同体であると同時に、皆それぞれ別の人間で。

小田原からロマンスカーで新宿に戻ると人でいっぱい。いつもの風景なのに、田舎にいた気分を引きずり少しげんなり。若いカップルが手をつないで気だるそうに歩いている。このふたりもまたそれぞれ別の人間。ここにいるひと、それぞれ皆別の人生を生きている。

わかり合えるわけなんてないのに、一緒にいたがるのが人間。なんかそれがスルリとよくわかって快い。わかり合う必要も、わからないことを嘆く必要も、共有する必要もなくて、ただ一緒にいればよいということ。

自宅のマンションに戻ると予想通り夫は楽しそうに酔っ払っていて、おなじ話を何度もしたけれど楽しそうだからまぁ良いか。ひとしきりビールを呑んでこてんと寝た。私は、もうちょっと日本酒を、と思って、夫の好きな菊正宗を手にして、美味しいおさけは世界にたくさんあるけれど、これを呑むと帰ってきたという気分になることに気がついた。お燗して冷蔵庫の蕗味噌とでも食べれば最高なのだけど、お茶碗でひやのまま何も食べず呑む。家族たちが皆たのしそうなので、離れていても寂しくない。宙ぶらりんが心地よい、夜の秋である。